和歌山市のオタ向けショップの歴史を振り返るとなんといってもニノミヤの裏あたりにあったコスモスだが、今考えてもかなり先を行っているショップだったように思う。今でさえそっち系のショップは全滅に近いのに、20年以上前の和歌山に何故存在したのだろうか?(どうにも合点がいかん。)
同じころ東映の映画館にはアニメショップ「ペロ」(だったよな^^;)もあった。
このコスモス(ニノミヤ)-ペロ-津田書店を結んだ三角地帯が4半世紀前の和歌山のオタクトライアングルであった。私は知らないのだが、この地帯で顔見知りになり、友達となったものもいたであろう。間違いなく同年代のおたく達の揺り籠であり、故郷であった。
しかし、今はもう場所も定かではない「コスモス」とかは何時行っても大して客はおらず、潰れないのが不思議だったが、やはり結局は潰れてしまった。うる星やつらの後期だったように記憶している。
当時のマーケットは今ほど商品が充実している訳ではなく、本をメインとして、あとはビデオとかを売っていたように思う。客層も狭く、商品バリエーションも少ない中、何を夢見て事業をしていたのだろうか。
しかし、そのほの暗い店内には少年にとっては飢えるほど求めた希望の世界への扉があるように思われた。
9 件のコメント:
東映のアニメショップは俺の記憶には
無いですなぁ・・・。「コスモス」は
ニノミヤの裏じゃなくて「駿河屋」の向いですよ。(ちなみに隣は後にオウム
真理教のショップになってたw)コスモス
は当時、和歌山という田舎の模型屋と
しては店員さんも客もアナーキーな人が
多かったですな、俺も色々な影響を受けました。俺が行ってる時は結構客は多かったですよ?恐らく閉めた原因は店員
さんだったKさんが家庭の事情で辞められたことだと思います、良くも悪くも
Kさんの魅力が大きかったですから。
(実際、店畳んだのはKさんが辞めた後
ですし、それから社長さんが銭金抜き
で趣味でやってた店らしいw)
あれから20年以上経つがKさんはお元気
だろうか・・・・・。
あの店は和歌山には20年早すぎたと思うよ、本当に残念だ。
補足、「駿河屋」というのは和歌山市
にある和菓子の老舗、少し前に経営陣
の悪事がバレてえらいことになったw
「ニノミヤ」は大阪発祥の家電量販店。昔和歌山では栄華を誇ったが、
敢無く空中分解してしまった。
「コスモス」は昔のガンプラブームと
相まって、当時の和歌山市在住のモデラーに大きな影響を与えた伝説のショップw
おお、そういえばコスモスはガレキは売っていたよな。
場所はさておき、2階建ての2階だったように思うのだが・・・記憶が消えてきているw
たしか駿河屋方面に移転したのではなかったかな?
ヒヒヒ殿、ガレキは2階じゃなく下で売ってた。海洋堂とかムサシヤ、ボークス等
が多かったと思う。
やんみん殿、漏れのコメント読んでないやろ!w 元が駿河屋の前、移転先は元
長崎屋(こっちも懐かしい!!)の裏
の方。
今回はほんまにローカルネタですなw
長崎屋の裏だったか・・・
思い出せないなw
ソーやったスマン。
最近アルツハイマーで・・TT
コスモスの最後のヤケ売りでブーちゃん(だれ?)がどっさり買ってたのを思い出しだします
ブーちゃんって誰なよっ!
模型屋といえば、北ぶらくり丁のコタニ模型
和歌山模型、和歌浦模型そしてコスモスが
自分的 四天王。
1/144ギャンを発売日に買うために
朝早くから並んだなあ・・・
ペロは東映の映画館が建て直すタイミング
で消えたはず。実際のアニメータが使っているような設定資料のコピーが売られていた。
コスモスは、スタートレックのパーツが少ないエンタープライスの模型が飾られていたのが印象深い。
テクノポリス21Cのプラモとか置いていたり早すぎるというか、潰れて当然というか。
北ぶらくり丁の模型屋さんも最近元気ないからなぁ。大丈夫だろうか?
レポよろしく。
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