因みにこの2作目を観たがいがため、当時レーザーディスクプレイヤーを買ったりした。あの頃、29インチのブラウン管にS端子接続で観たが、思った以上にショボい画質でレーザーディスクの限界を思いしらされた。たが、今思えばプレイヤーのせいというより、モニターの表示能力の限界だったのだろう。
化けの皮
かつてこの世の果てでひっそり同人活動を行っていたサークル。それがGPX企画です。そこで大体定期的に作成されていた会報「欲の皮」。そのまぼろしの会報をネット上に再現するブログです。このブログは何人かのGPX企画の生き残りでお送りしています。
2019年12月1日日曜日
ターミネーター ニューフェイト
因みにこの2作目を観たがいがため、当時レーザーディスクプレイヤーを買ったりした。あの頃、29インチのブラウン管にS端子接続で観たが、思った以上にショボい画質でレーザーディスクの限界を思いしらされた。たが、今思えばプレイヤーのせいというより、モニターの表示能力の限界だったのだろう。
2018年3月24日土曜日
ブラックパンサー
興業収益でSW8を越えたと噂のブラックパンサーを観てきた。
開始から3週間程経っていたので特別混んでいないが、それなりの人入りだった。
ハッキリ言って期待はしていなかった。また、いつものマーベルニューヒーローのスタートアップ映画だと思っていたが、いい意味で期待ははずれた。
これまでと同じような、何故ヒーローになったか、というような説明部分は殆ど無く、ヒーローとしての役割を描いていた。
特にワカンダ王国が超先進国として描かれており、アフリカ人にとってはくすぐったい程のファンタジーである反面、白人主義の西洋文明側の人間にとっては、それはある種の刺激を伴う感覚に誘われる不思議な体験であった。
物語は始終、このアフリカの超先進国の価値観を踏まえて進行していく。安易な正解はなく、主人公も歯切れがいいだけの薄っぺらい感情だけに流されるようなバカではない。
トニー・スタークが一作目で見せた葛藤に近いものがあった。ただ、アイアンマン1では、結局副社長の悪事が全ての根幹だったとして、あっさり全ての問題が片付けられてしまったが、問題は貧富の差である南北問題であり、それはけして解決していないのだということは、とりあえず舞台の裏に仕舞い込んでアイアンマンは続編を作っていったが、ブラックパンサーは敢えて、現実問題を逃げずにそれでいて活劇として成功した希な作品になった。
今後、続編でこのテーマが深められるか、否かは不明だが、シビルウォーで顔出ししたチャカ王子が一作目でここまで深みをもって描かれているのは高く評価されるだろう。ただ、ハリウッドの大作でこの路線を続けていくのは恐ろしく困難なことと予想される。
キャプテン・アメリカよりシリアスなヒーローが現れたことで、いよいよキャプテン・アメリカの役目も終わりなのだろう。
・ブラックパンサー ・・・ 8点
次回はインフィニティ・ウォーかパシフィック・リム2、さもなくばデッドプール2でお会いしましょう。
2017年12月17日日曜日
スターウォーズ8 最後のジェダイ
ネットで誰にも予測できない傑作だというスターウォーズシリーズの最新作を観てきた。
シネコンで久し振りに多くの観客と一緒に観た。
以下一部ネタバレあり(観ていない方は読まない方がいいです。)
映画の内容は予測できないというより前回からの物語性を継続していないので、予測のしようがないんだと思った。(登場人物が自分に嘘をついていました、なんて言ったら観客に分かるわけないだろw)
ディズニーに買収されたら金儲けのための女・子供重視のえせ臭い映画になるだろうと思っていたが、それが本格的に実行されていた気がする。(あの鳥なんて「商品」でしかないだろ。)
前作(EP7)は私的にはいい物語だった。世の中には懐古的だと批判する向きが強いようだが、スターウォーズシリーズなんだから、明快な勧善懲悪でいいじゃないかと思っている。
しかし、今作では気持ちの悪いリアリズムが物語に入って来ている。
リアルな貧困家庭問題だったり、経済社会の混沌とした仕組み、アジア系登場人物の大量投入等。
正史でないスピンオフなら「ローグワン」みたいにある程度リアルな戦争物語もありだと思う。
しかし、今作のこれはなんだろう。アクションシーンを繋げるための方便しかないようなストーリーに今更な社会問題をくっつけて何がしたいのか。
また、メインの物語がとにかく観客の注意を惹くためにドンデン返しの連続を追い求めた結果、縦軸のない細切れな物語になってしまっている。
変化する事は悪いことではないが、シリーズである限り過去の物語からの教訓をある程度継承しているべきだろう。
教訓はヨーダがルークに言った「失敗経験も教えろ」だけだか?
それにしても、ジェダイ学校は何回弟子育成に失敗してるんだw
今作で一番気にくわないのがルークの扱いだ。
特にラストシーンでルークが死ぬ必然性がまるでない。
昨日まで魚を銛で突いていた元気な爺が、フォースを操っただけで死ぬのだろうか。
オビ=ワンもヨーダもアナキンもそんな死に方はしていないのだが。
ジェダイがフォースをつかって疲れて死ぬなんて、頓死じゃないんだろうか。
今作に一番不満なのがこのルークの描かれ方なのだ。旧作でかなりの高見に登ったはずの主人公が弟子の育成失敗があったにしてもここまで情けない状態に陥るというのが、不満なのである。
オビ=ワンはもっと信念を持って生きていたのを知っているルークがこのざまというのがなんとも酷い。
また戦いにおいてもレイは強いのかもしれないが、それにしても伝説のルークが叩き伏せられるなんて情けなさすぎだろう。
あともう一つ、ハイパードライブでの特攻だが、あんなのが利くならデススターでもあれで良かったんじゃないか、ということ。
それともファーストオーダーの旗艦のシールドはそんなに弱いのか?
至る所で今回の監督(兼脚本家)はスターウォーズオタクでシナリオも凝っていると宣伝されているが、本当にそうなのか。マスコミに近いレビューはほぼ諸手を上げて評価しているが、何だかとても気持ちが悪い。
前回のハン・ソロに続いてルークも退場した。次作ではレイアも退場確実なので旧作との大きい関わりが切れてしまうスターウォーズシリーズは、どうなるのであろうか。ディズニーの商売の食い物になるだけなのか・・・
物語の流れ的には次作の舞台は今作の10年後、レイを中心に規模を盛り返した反乱軍と二頭体制のファーストオーダーの決着編になるだろう。
で、真の黒幕が登場すると思うのだ。頭脳ドローンではないだろうか。
スターウォーズ8 最後のジェダイ ・・・・・ 6点
好きなシリーズだからこそ辛口で語ってしまった。すみませんでした。
2017年4月23日日曜日
ゴースト・イン・ザ・シェル
この週末、久しぶりにタイガー君と映画を観に行ってきた。
公開3週間目のスカーレット・ヨハンソン主演の「ゴースト・イン・ザ・シェル」、士郎正宗原作の「攻殻機動隊」である。
3週間目にして、1日二回上映とそれほど当たっていないようだ。
アニメの原作付きでは、そんなに流行らないのも仕方ない。大方の観客はヨハンソンの肢体を見に来ているようなものだろう。
確かに最大の見所は、そこである。
思ったよりガッシリしているが、人間の体では美しい、否、かなり美しい方であろう。それをボディスーツだけになって、画面狭しと十二分に見せてくれる。サービス精神旺盛な映画だ。
惜しむらくは、アップになった時のシミやソバカス、吹き出物をCGで消してやれば、更にサイボーグらしく見えたのに。
内容は押井監督の「ゴースト・イン・ザ・シェル」をベースに、TV版のセカンドギグを混ぜたような感じだろうか。
アニメ版が完成され過ぎているので、どうしても物語(設定)が単純化され過ぎているきらいはあるが、初見の観客にはこれくらいのストーリーでないと厳しいとも思う。
まあ、観て損した感じは全く無い。
・ゴースト・イン・ザ・シェル ・・・・・ 8点
光学迷彩最高!
2017年2月4日土曜日
ドクター・ストレンジ
マーベルヒーローの一つ、「ドクター・ストレンジ」である。しかし、私は今までこのヒーローを全く知らなかった。
ビジュアル的にも日本でウケる感じではないので、市場に出回らず余り接することも無かったのだろう。
それでも知らないからと言って、つまらない訳ではあるまい。事実、過去にも初見のアントマンなどはかなり面白かった。
何時もの席に座り、業のようなラビーナのCMを我慢し、映画は始まった。
一人も見覚えのある俳優がいない。それは新鮮さに繋がったが、出だしは何処かで観たような展開だ。
スーパーパワーを会得する段も、CGはなかなか凄いのだが、まあ5番せんじってとこか。
敵との戦いも、体力なのか魔力なのかも判然としない。情緒的な対決が続くばかりだ。
これが悪いとは言わないが、なんだか冗長に感じられる。
盛り上がりのない前座レスラーの試合という感じか。
傲慢なエリートが苦難に陥り、正義に目覚めるというストーリーだ。
当然、二作目が用意されているが、何だかこういった登場のためのセレモニー的映画は、もういいんじゃないかと思い始めてきた。
2017年1月8日日曜日
三江線に乗る
年明けの三連休に島根県の江津から広島県の三次に向かう列車に乗った。
三江線という来年の3月で廃線になる路線を乗りに来たのだ。
終点の三次駅まで行ける列車は1日二本、一本目が始発の午前6時江津駅発の二両連結の列車だった。
私が午前5時半頃乗り込むと、既に四人掛けのボックス席は全て取られていた。
どう見ても鉄道オタクのオッサン達が十人ほど、席に荷物を置いて一眼レフを片手に写真を撮り回っている。
ロングシートに座って発車を待っている間も、次々に判で押したような歳をくったオタク達が乗り込んでくる。
服装の基本は、アウトドアメーカーのセミロングのジャケットにジーンズ、靴は100%スニーカーだ。
よく考えたら私の格好もほぼ同じだった。
何だかんだで席はほぼ埋まった状態で出発した。沿線住人と思われる乗客は1割もいない。ほぼ婆さんだ。
出発してもまだ明けない暗闇の道中である。
ただ、景色は見れなくても、車内はある意味なかなか見れないような面子になっていたので、飽きなかった。
嬉々として走行中の列車内をカメラ片手に忙しなく歩き回る50代の男、相席のボックス席の窓際にテディベアを置く残念なカップル、後部運転席横の車窓に食い付いて離れない爺。何故かずっとメモ用紙に俳句を書き続ける男。
このある意味修羅達を乗せた列車は三時間後、終点の三次駅に到着する。
1時間半ほど経過すると、やっと小雨の朝靄の中に沿線の家々が見えてきた。
明るくなるにつれこの路線の良さがハッキリとしてきた。
江の川を中心に石見地方の赤い瓦の家々が連なって建っている。
それほど広くない谷に沿ってゆっくりとした速度で走っていく。
観光路線として魅力に溢れていると言っていい路線で、乗客が少ないので廃線にするとは、JRの取り組み不足ではないのかと思う。
説明を読めば、この路線は昭和50年までは途中が開通しておらず、三次から途中までを三江南線、江津から途中までを三江北線として運用されていたそうである。恐らく長い時間をかけ、困難を乗り越えて開通した路線なのだろう。
それが全線開通から僅か40年余りで全廃止とは、寂しい限りである。
軌道を行く列車があって初めて完成する景色もあるのに、それが無くなるのである。
確かに沿線の町村は過疎化が進んでいる。この先人口が増えることも無いだろう。しかし、今廃線することは、高齢者の不便を更に助長することになるのではないか。
廃線は地方の呼吸を止めるのに等しい、と考えるのは余所者の傲慢だろうか。
この川筋に列車の警笛が響かない時が、永遠に続くことを住民はどう思っているのだろうか。
秘境駅である長谷駅で三人降りた。彼等はまごう事なき鉄道オタクであろう。
駅は川の瀞に面していて、成る程秘境であると唸らされる雰囲気であった。
三次駅に着いて、そのまま折り返しの列車に乗る。
立っている乗客もいるくらい盛況だ。
廃線が決まると乗客が増えるのを、もっと前から乗ってくれたら、廃線にならなかったのに、と言う人がいるが、それは無責任な言葉と言うべきだろう。
この三江線にいつか乗りたいと思っている全国の鉄道ファンは多いはずである。
しかし、乗るために江津駅や三次駅に来るまでが既に不便過ぎるのだ。また、全線を走る列車が1日で片側2、3本しかないというのも致命的だ。
これは乗り鉄的には、三江線を全線乗るためには一泊することが必要だということなのだ。これはかなり敷居が高いと言わねばならない。要は時間と費用が余計にかかると言うことなのだ。
だからいつか都合がつけば行こうと考えている人がかなりいたはずである。
それが廃線によって前倒しで来るようになり、休みの日だけ盛況な原因になっているのだ。
石見川本駅で江津行の接続待ちが1時間半あった。
昼飯のお好み焼きを食べて列車に戻ると、川本町の町長がハッピを着て列車に乗り込んできて、町のアピールをしていた。
二両連結の百人に充たない乗客にそこまでするのか、と少し驚いたが、それだけ周辺市町村にとっては切迫した状況なのだろう。
地域社会の消滅。
必然的に訪れる現象を前にして、私にはまだそれに対して気持ちの整理がつかないのだ。
2016年8月29日月曜日
シン・ゴジラ
巷で噂の庵野監督の「シン・ゴジラ」だ。
ゴジラ映画を映画館で見るのは何十年ぶりかだ。
20時過ぎの回で、公開3週間目にしては結構入っていた。
いつもの席に座り、長いCMを観る。ここで何度も書いているが、映画の予告以外の宣伝を見せるのは本当にやめてほしい。金を払っている客に、全く関係ない結婚式場のCMを見せるのは、どういう了見なのだろう。
映画はサクサクと進む。ゴジラの登場シーンもそんなにもったいぶっていなくてよい。
初期ゴジラの動きが面白い。
これは面白い傑作映画では、と開始20分は思っていた。
しかし、話が進むにつれ変な方向にファンタジーめいてきた。
怪獣映画なのだからファンタジーなのは当たり前なのだが、出てくる政府側の主役たちが出来るいい人過ぎて気持ち悪いのだ。あまりに現実離れしている。
「インディペンデンスデイ」と同じような気持ちの悪さなのだ。
まだ、「インディペンデンスデイ」は、お約束な結末にするために制作側が仕方ないだろ、という気持ちが現れているようなユーモアがあったのだが、この映画からは感じられなかった。
なんか、本気で信じているような(させたいのかも)気持ち悪さが終始続くのだ。
例えると、エヴァのゼーレみたいな感じがするのだ。
本当は中身空っぽなのに、雰囲気だけ描くのであとは感じてみたいな。
しかし、それも東日本大震災を見てしまったから、政府の描き方に個人的に違和感を覚えるだけかもしれない。
現実と映画は違う。それでいいはずだ。
「シン・ゴジラ」は映画としては、普通に面白い。ゴジラを倒すための最終作戦の絵面も、コミカルでいて説得力がある。
ゴジラ映画として語る力は私にはないので、そこの評価はできないが、日本のSF系映画として出色の出来だろう。
それでも私にとっては気持ちの悪い映画であった。
・シン・ゴジラ ・・・・ 8点
次回は?
2016年5月2日月曜日
キャプテンアメリカ3 シビル・ウォー
GW最初の週末は男泣きのメンバー(ユダ平岡氏欠席)と「キャプテンアメリカ」の最新作を観に行った。
封切り間もない20時の回だったが、人の入りは40人程。思ったより入っていなかった。
「キャプテンアメリカ」はマーベルの中でも気に入っていて、前2作も面白かった。そして、稀有なことに今回も大変面白かった。
「アベンジャーズ2 エイジオブウルトロン」が、今一だったことに反して、良い意味で期待を裏切られた。
「アベンジャーズ」シリーズが主人公格揃いで、話に纏まりがないのと反対に、今作はあくまでも「キャプテンアメリカ」シリーズである。主人公はスティーブになっているため、盛り上げ方も安定している。ちゃんとカタルシスを味わえるようなストーリー展開になっている。
「アベンジャーズ」では、物語上関係のないソーやハルクにも時間を割かねばならず、それが盛り上がりに欠ける結末に繋がってしまったように思う。
今作で噛ませ犬として割をくったアイアンマンには気の毒だが、「キャプテンアメリカ」にとっては、見せ場の多いストーリーだった。
しかし、この映画を「シビル・ウォー」として、「キャプテンアメリカ」の名前を小さくして宣伝している日本の配給会社はどういうつもりなのだろう。
まるで「アベンジャーズ3」として売りたがっているようだ。
はっきり言って、マーベル映画で今一番面白いのは、もはや「キャプテンアメリカ」になっているのではないか。変な話だが、日本人に一番受けるのは高潔で悲劇的なキャプテンアメリカというキャラに違いないと思うが。
今回のマーベル映画シリーズは「アイアンマン」から始まっているのは事実だが、アイアンマンはシリーズを終えて、物語の中では戦うモチベーションを有しておらず、狂言回しになっているに過ぎない。
ただ、キャプテンアメリカだけは、今後来るであろうカタストロフに向かって、更に進んで行きそうである。彼の最後が今マーベル映画シリーズの完結編となるような気がする。
そんな暗い予感を抱かせる予想以上の大作であった。
・キャプテンアメリカ シビル・ウォー ・・・ 9点
次回は「デッドプール」、「シン・ゴジラ」、「インディペンデンスデイ2」でお会いいたしましょう。
2016年4月20日水曜日
姫新線に乗る
平日だったが、年度末の休日出勤の代休があったので、行ってみたいとかねてより思っていた姫新線に乗りに出掛けた。姫新線とは兵庫県姫路市から岡山県新見市間を走っているJR西日本の地方路線である。
朝5時半に部屋を出て、始発駅の姫路駅に向かう。
7時前の姫路発播磨新宮行きには、学生やリーマンが結構乗っており、二両編成の車内は立っている乗客も多かった。
次々と乗客が入れ替わっていく。
沿線地区は学校や住民が多いようだ。
イメージしてたより、遥かに賑やかな車内だった。
学生がこんなに早い時間から通学しているのかと感心もした。いつもなら私はまだベットの中にいる時間だからだ。
ここからは男子高校生が多く、空席も目立つ。
いよいよローカル線のそれらしい雰囲気になってきた。
また、八重桜が所々に咲いている。丁度、満開になっている木も多い。
低い角度の朝陽に照らされた美しい春の風景が眼前に映し出される。
ここでも連絡する列車は既に停まっていた。
今度の行先は津山駅である。
この列車には初めは五人しか乗客は乗っていなかった。
1両編成の列車は、ちょっと他所では見ないような狭い谷沿いをゆっくり進んでいく。狭い処に水田や家が点在している。如何にも中国地方の山里という感じの場所を縫うように軌道が敷かれているのだ。
佐用駅から数駅の間がこの路線の核心部であった。
たまに線路脇の小枝が窓に当たるのを聞きつつ、これだから乗り鉄は止められないとしみじみと感じていた。
また、高架部分では真下の地面や川の中まで見える。
ドローンのように飛んで見ているように風景が一望できるのだ。
もう一人は明らかに鉄道マニアの三十代の男だった。
姫新線は初めの区間こそ、それなりに人は乗っていたが、やはり奥に行くほど不採算路線であるというのが、実感としてよく分かった。さらにド・ローカル線のお決まりとして、二時間に一本のダイヤ編成だ。
駅から歩いて十分ほどのスーパーの中にある喫茶店みたいな店だった。
昼前にしてはよくお客は入っていた。
大方の人が食べているエビメシを注文した。
出てきたのは見た目、ドライカレーの上にシバエビの剥き身を載せたようなものだった。しかし、食べてみると仄かにカレー風味ではあるものの、どちらかと言うとドライのハヤシライスみたいなものだった。
不味くはないが、これならドライカレーでいいなと思った。
味付けは本格的な洋食屋だったので、何を食っても外れは無さそうだった。
偶然、先程の鉄オタも戻ってきており、彼は私より先に出発する備後落合行きの列車に乗った。
時刻表を確認するとその路線は1日に5本ほどしか運行していない高難易度路線だった。何故か派手に負けた気がした。
終点の先には木次線がある。
乗り鉄の師匠(同僚)から、ここは厳しいとかつて聞かされたことがあった。
いつの日にかまた、ここを制覇するために戻って来なければなるまい。
新大阪駅に着くと午後8時だった。
久しぶりの乗り鉄は体に堪えた。
2016年4月10日日曜日
バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生
今週末は正月から久しぶりの映画に男泣きの面々(会長、ユダ平岡氏休み)と行った。
今回の映画は予定通り「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」である。
公開から二週が過ぎて、劇場もまばらな21時の回を観た。ウッカリ3Dにしてしまった。いつもの最前列だと、視点がずれまくりだった。
大方の予想通り、ご都合主義と勢いだけで、やってしまっていた。納得感は全く得られなかった。
スーパーマンと人間のコスプレバットマンじゃ、差がありすぎる。
戦うということがお話にもならないのが、筋っていうもんだ。
しかし、今作ではそれがなんとかなってしまっていた。おいおい・・・
理性では全く納得できないが、ワンダーウーマンが出てきたあたりから、どうでもよくなりました。
もう何でもいい。
つまり無理難題を振っておいて、どの程度赦せるか、ザック・スナイダーによって観客の度量が試されているんだ。
気に入らないのはこういうことだ。
スーパーマンの救世主としての悲劇が見事に描かれているのに、バットマンのいいところが全く描けていないからだ。
だからバットマン贔屓の私の気が収まらないのだ。
(ワンダーウーマンは素晴らしかった。)