2015年3月22日日曜日

ホビット3 ~決戦のゆくえ~


この映画を観たのは昨年末だった。男泣きの面々全員が珍しく揃って観たのだが、大分時間が経ってしまった。
書こう書こうと思っていたのだが、ぐずぐずしている間に3月になってしまった。
なかなか書けなかった理由は、私にとって面白くない映画だったのだが、普通に考えてそれほど酷い出来ではないと、心に引っかかっていたからだ。
では、何が私にとってつまらなかったのかだが、二作目に続きトールキンワールドに馴染まない薄っぺらい恋愛が、前作よりましなもののあったこと。
戦闘が単調で、カタルシスが無かったこと。
サウロンやレゴラスにあんなに活躍の場を与える必要性が全く無かったこと。
スマグゥとゴブリン、ドワーフだけで、宝の争奪戦をやれば良かっただけのように思う。

しかし、物語上の続編、指輪物語の前日譚として、面白い所もあったのも事実である。
たが、原作至上主義者としては、ホビットの物語は痛快なだけで良かったのではないだろうかと強く感じている。ビルボの痛快な冒険談の未来に、暗い運命の物語があるのは、周知の事実なのだから。
実際、原作を読んだ大方のファンもその順で物語を体験しているはずである。
ビルボの明るさ(獲得)と、フロドの暗さ(喪失)の違いに思いを馳せるのは、個人の自由で良かったのではないだろうか。

取り合えず、トールキンワールドの映画化は終わったように思うが、21世紀初頭にこれだけのものが出来たことは、未来のファンへの大きな贈り物となるだろう。

・ホビット3 ~決戦のゆくえ~ ・・・・・・ 6点

二部作が最適でしたの。

2015年3月19日木曜日

機動戦士ガンダム ジ・オリジン ~青い瞳のキャスバル~


先日、会社の同僚と「青い瞳のキャスバル」を観に行ってきた。
短期間の上映のためか、平日の21時からの回にしては観客が多かった。
年層は予想どおり高めだ。
流石、ファースト世代は歳を重ねて来ているw
映画は一時間程なので、またぶった切りの半端ストーリーだろうとたかをくくっていたのだが、その1時間が長く感じる程の濃密な展開で、アッパレという出来だった。
ファースト以前の時代を描くことは、かなり成功したと言えるのではないだろうか。
ただ、やむを得ないことだが、既存のキャラを描きすぎたため、世界観が小さくなってしまったようだ。
この辺りは原作付きの宿命だろう。
あれほどの過去があるにも関わらず、本編の時代にそれほど人間関係が濃くないのは、矛盾と言えるだろう。
ダイクン家とランバ・ラルにあそこまでの関わりは必要無かったのかもしれない。

今回、タイトルはキャスバル=シャアだが、見所はザビ家の面々の描かれ方だろう。
ドズル、キシリアは分かりやすい描かれ方をしており!なるほどと直ぐに納得することが出来る。
良かったのは、デギンとギレンのやり取りである。
特にデギンの台詞はかなり痺れる名言であった。
ガンダム史的には、ギレンの圧倒的な政治家としての評価が定まっているが、デギンは単なる政治的デマゴーグに収まらない、哲学者または歴史研究家のような深みまで描かれていたような気がする。

イデオロギー運動において、理想家のジオンをそのまま戴くことの危うさを最も理解していたのが、一番の理解者であるデギンであったことが、非常に哀しく、物語に重厚さを与えていた。
ある意味、ザビ家でなければならなかった歴史の必然を証明する物語でもあった。

今から次回の「悲しみのアルテシア」が楽しみである。
しかし、何回やって完結させる気なのだろうか?

・機動戦士ガンダム ジ・オリジン ~青い瞳のキャスバル~ ・・・・・・ 8点

次回はウォシャウスキー姉弟の「シュピター」か。