かつてこの世の果てでひっそり同人活動を行っていたサークル。それがGPX企画です。そこで大体定期的に作成されていた会報「欲の皮」。そのまぼろしの会報をネット上に再現するブログです。このブログは何人かのGPX企画の生き残りでお送りしています。
2011年12月6日火曜日
島抜け
12月2日(金)の竹芝桟橋は平穏な感じだった。しかし、大島行きのフェリーが出ると残っているのは、驚くほど少ない観光客のみとなった。釣り客も俺たち3人以外はじいさん一人しかいない。都合、三宅島には4回目の渡航になるが、こんなに乗客が少なかったことはなかった。俺が新幹線に乗っている頃、釣り宿より「今日はやめた方がいいよ」との連絡があったが、俺が既に新幹線に乗っていたため、行くことにしたと職場の先輩が言っていた。その時は、その言葉の意味が理解できていなかったので、当然島で釣りたいから、行くものだと決めつけていたが、これが思ってもいない方向にその後展開していくのだった。
フェリーは暴風の中東京湾に発進した。甲板でいられないくらいの風に、船内の階段で酒盛りが始まった。酒盛りもおわり、特2等のベットに行くと、見たこともないほどベットが空のままだった。どこに移動してもよさそうなものだが、そのまま指定されたベットに横になった。夜はかなり揺れたと思う。しかし、薬のせいで浅いながら眠ることはできた。いつものとおりの条件付き出航で、朝がくれば三宅島に着いてるはずだった。
朝4時の起床の放送が鳴ると、船内放送で接岸は波の様子を見て決めるとのことだった。それから、一時間弱船はなかなか桟橋に接岸しなかった。なんでもいいから早く降ろせ、上陸さえすれば釣りパラダイス、この客の少なさで磯を独占できる!、と祈るように待っていると、やっと接岸して船を降りることができた。しかし、降りた乗客を待っていたのは、傘を差すことも困難な暴風雨だった。他人に言われなくても分かった。こんな風では釣りはできない・・・
桟橋のはずれで船宿の若主人が待っていて、気の毒そうに風が弱まるまで宿に待機してくれと言われた。それでも一縷の望みを持って宿の部屋で待っていた。あり得ないくらいの大雨が宿のトタン屋根を叩いていた。庭に置かれた椅子が強風で飛ばされている。
昼過ぎに風は少し弱まった。それでも本土にいれば、釣りには行かないような強風だ。とりあえず、安全な風裏の地磯を探したが、風向きが急に変わったせいで、風裏の地磯もうねりがとれておらず、あり得ないほどの波が磯を覆っていた。漁港で釣るしかなかった。2時過ぎ坪田の漁港で竿を出した。風に背中を向けて釣りだしたが、10分に1回は前に押し倒されるほどの突風が吹いくる。海の近くに立ちすぎると、海に転げ落ちそうな気がした。2メートルほど離れて釣っていたが、半時間たっても何も反応がなかった。道糸もどこまで飛んでいるか分からないほど風に流されていく。だめな感じが、漂ってくる。
釣っている堤防には階段があり、そこに波がぶつかり小さい払い出しがあり、すこしさらしのようになっていた。そこにマキエを入れて待っていると、ウキが消し込まれた。釣れたのは手のひらサイズの尾長の木っ端だった。しかし、これで釣れると分かったので、風に負けないように1号ウキに変更して、5Bの重りをつけて一気に沈めると、当たりが分かりやすいようになり、フグも入れて10匹近く釣り上げることができた。最後のほうは、ワンキャストワンフィッシュだった。夕暮れになり、納竿し宿に帰った。
夕飯を食べているとき、本気とも冗談ともつかぬ口調で若主人が、明日ヘリで帰る人いるか?、と聞いてきた。俺も冗談で、フェリーが来ないなら帰りたいと答えた。酒盛りはそこそこに明日の朝の釣りに備え早く寝たが、夜半をすぎてますます風雨は強くなっていた。
朝4時頃目が覚めたので、スマホで東海汽船の運行状況を見るとフェリーが東京を出航したものの途中で引き返したと出ていた。これで俺の本日の釣りはなくなった。一枚しかない予約券を使って、午前中の便で三宅島からヘリコプターで伊豆大島へ脱出することとなったのだ。
ヘリコプターの定員は9名。釣り宿の機転で、予約を取っておいてくれたのだが、それでも1席しか取れなかったそうである。同僚の二人は快くそれを譲ってくれたのだ。今の俺は急に休むわけには行かないのだ。他二人の課長職を残して俺はそそくさとヘリポートに向かった。彼らは無言で釣りに出かけて行った。
ヘリポートには出発の1時間前に着き、11、340円を払って出発の時間を待っていた。
15分遅れてヘリは驚くほど急に降下してきた。思ったより音は大きくなく意外だった。三宅島から乗ったのは5人だったが、乗ったヘリには既に4名が、前の島から乗っていた。出発すると驚くほどあっさり上昇した。高所恐怖症の自分であったが、全く恐怖心はなかった。ヘリコプターは想像を超えて安定した乗り物だった。
それから20分ほどは高度800メートルくらいを水平飛行したが、海の上は特に見るものもなく、すぐに飽きてしまった。空を行くと三宅島から伊豆大島はすぐそこだった。
伊豆大島の飛行場へは飛行機のように前に移動しながら、ゆっくりと着陸した。そして空港ビルに入るとすぐ脇に調布空港行きの中日本航空のカウンターがあった。出発は20分後の正午だった。ここで9500円を払い、25名ほど乗れるプロペラ機に乗り込んだ。空港からは富士山がよく見えていたので、直に本土上空に入り、これまた20分ほどで調布空港に降り立った。空港を出ると路線バスが着ていたので、三鷹市役所前まで乗り、そこで三鷹駅行きに乗り換えると1時前には三鷹駅に着いていた。
終わってみると、あまりにあっけない三宅島からの脱出劇だった。
しかし、また違う行き方を知ったことで、離島と東京の共生の形が分かった気がした。
月曜日、残っていた同僚はフェリーで竹芝桟橋に帰ってきた。
あまり、よい釣果ではなかったとのこであった。やはり、釣りはままならぬ。
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