かつてこの世の果てでひっそり同人活動を行っていたサークル。それがGPX企画です。そこで大体定期的に作成されていた会報「欲の皮」。そのまぼろしの会報をネット上に再現するブログです。このブログは何人かのGPX企画の生き残りでお送りしています。
2010年5月9日日曜日
第9地区
「タイタンの戦い」の3日後に行ったのが今回の映画「第9地区」である(今回は久しぶりに会長も出席)。和歌山では既に一日1回16時半からの回のみの上映時間となっていた。この一日1回の映画、さぞ観客は入っていまいと劇場に入ると、50人くらいいるではないか! まあ、物好きというか、暇というか和歌山にもこんな映画観る人いたんだw
プロデューサーこそピーター・ジャクソンの名前があるものの、この強烈なB級臭は単に面白い映画であるはずがないと、最初から決めて入ったわけであるが、ある意味その予想は裏切られた。
非常によく出来ているのである。大作である「タイタンの戦い」よりもよく出来ている映画だったのである。では傑作かと聞かれたら、個人的には傑作とは言い難い。むちゃくちゃよく出来ているが、たとえば海外のドキュメンタリーでよく野生動物生態を撮った番組を見たとしよう。番組としては優れていると思う。こんなところまでよく撮ったと思うことはある。しかし、それを映画の傑作とは普通言わないだろう。映画は架空の物語であって、事実(現実)をそのまま映すものでないはずである。もっと言えば、個人的には映画は通常自分が考えている道筋とは違った側面を刺激してくれるものであり、胸のすくような(激しい憎しみ、悲しみ等々)感情を抱かせてもらえるものである。しかし、この映画はあまりにもエイリアン(と人間)の生態をよく(リアルといってもいい)観察しているため、何処まで行っても自分は自分でしかなく、心の持って行きようが何処にもないのだ。(感情移入出来ないですねw)まさに宇宙人(宇宙生物に近い)の出てくるBBCのニュース見ているような感じなのだ。
映像の出来は認めます。映画としてもよく出来ていると思います。しかし、この映画は私向きではない。
・第9地区・・・・・7点
次回は「アイアンマン2」でお会いしましょう。
タイタンの戦い
ゴールデンウィークに男泣きの面々(今回も会長は休み)と今年前半の目玉「タイタンの戦い」に行ってまいりました。この映画3Dもあったらしいのだが、ジストには無かったため、通常版を見た。21時ごろの回で封切1週間目の映画としては少ない観客数だった。
とりあえず、最近観た1981年版の「タイタンの戦い」との違いを楽しもうと思っていたのだが、いい意味でまったく違ったアプローチがされており非常に面白かった。(リスペクトもいろいろとあり、知っている人間にはニヤリッとさせる演出がそこかしこにあった)しかし、新作として普通に観た観客にはよくある単純な英雄談として、退屈で単純な物語と思われたことであろう。
言うまでもなくオリンポスの神々といえど、人間とは天地の開きのある能力を有しており、いくらペルセウスがゼウスの子でも、神々相手には戦うことは出来ないことがよく画面から伝わってきた。このような無双な力を有した神々に対して、人間に出来ることは服従だけだろう。事実、過去の「タイタンの戦い」ではペルセウスを始めとしたメインキャラ達は神々と争うことなど考えてもいなかった。今回は人間賛歌を唄いつつペルセウスが”人”として運命に立ち向かう姿を基本に据えているのだが、物語上にどれだけ意味があったかは疑問だが、その味付けが過去の作品との差別化になり、飽きさせなかった。
ストーリーの結末も神話無視の帰結に至るのだが、まあこれはこれでよいと感じた。
メデューサとかも美しく、この蛇になら絞め殺されたいと思う妖艶さだった。(個人的にはカシオペアもよかったw)
1981年の「タイタンの戦い」は中学生になりたての頃で、とても観たかったのだが見に行けず、長らく心残りになっていた作品で、個人的には非常に思い入れがある。その作品を30年後にDVDをじっくり見ての感想は複雑なものであったが、今回の「タイタンの戦い」を観た後に感じているのは、また何十年後に新解釈の英雄神話として観てみたいということだ。突き抜けた作品ではなくても、神話のプロットにはいろんな要素が含まれており、年齢ごとにその感じるところは違い、そのことを静かに語りかけてくるのが人類の最初期に書かれた英雄譚の一つであるこの作品であろう。
・タイタンの戦い・・・・・8点
今回はちょっと甘いかな。では。
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